元ラリークロスのチャンピオン、フランツ・ブルツの息子であるアレキサンダー・ブルツ。1986年のBMXワールドチャンピオンという異色の経歴の持ち主だ。
1988年、モーターレーシングの世界に転身したブルツは下位カテゴリーで活躍する。F3を戦った後の1996年にはTWRよりル・マンに参戦、見事勝利をつかんだ。その年はベネトンとザウバーでテストドライブを行っている。
1997年にはベネトンF1のテストドライバーに就任。その年のカナダGPで母国の先輩であり、レギュラードライバーであるゲルハルト・ベルガーが病気のためレース欠場、ブルツにレース出場のチャンスがめぐってきた。F1デビューとなった同グランプリではギアボックストラブル、次戦フランスGPではスピンを喫し、それぞれリタイアとなる。しかし、デビュー3戦目のイギリスGPでは力強いパフォーマンスを発揮、チームメイトのジャン・アレジを追いかけ3位表彰台に上ったのだ。このシーズンはベルガーの復帰に伴い3レースのみの出走となったが、その活躍が認められる。
1998年、ベネトンとレースドライバーの契約を結ぶことになったのだ。ブルツにとって初めてのF1フルシーズンは総合ランキング8位、最高位はブラジルGP、アルゼンチンGP、スペインGP、カナダGP、イギリスGPでの4位だった。この年のモナコGPではミハエル・シューマッハとバトルを繰り広げ、カナダGPではスタート直後にアレジに接触、3回ほど宙を舞い、赤旗中団の原因になるなど何かと印象的なシーズンを送っている。
ベネトンで2ポイントしか獲得できないという残念なシーズンを過ごした1999年。
2000年はサン-マリノGPでの1ポイント獲得のみにとどまり、この年限りでレースシートを追われることとなる。
そして2001年、マクラーレン・メルセデスにテストドライバーとして加入。
2003年にはジャガーのレースドライバーに就任するかという、うわさもあったが、結局5シーズンをマクラーレンで過ごす。
ファン-パブロ・モントーヤの代役として2005年サンマリノGPに出場、レースでは4位入賞を果たすが、B・A・R(現Honda Racing F1)の失格のため、3位表彰台を得る。
マクラーレンを離れた2006年はウィリアムズにテストドライバーとして移籍。金曜日のフリー走行セッションで活躍した。
2007年はウィリアムズのレースドライバーに昇格、ニコ・ロズベルグとタッグを組んだ。モントリオールで3位表彰台に上り、ニュルブルクリンクでは4位入賞を果たすも、シーズン全体、とりわけ予選結果を見ると、残念な1年だったと言えるだろう。12位で終えた中国GP後、チームはテストドライバーだった中嶋一貴を最終戦ブラジルGPに出走させると発表。ブルツはF1レースドライバー引退を表明した。
しかし、開発能力が高いと評判のブルツは2008年、Honda Racing F1にテストドライバーとして加入、その活躍に期待が高まる。