2004年9月にフォードがF1活動の完全撤退を表明し、一つの時代が終わりを告げた。その後、オーストリアの飲料メーカー、レッドブルがジャガー・レーシング・チームと、ミルトン・キーンズのファクトリーをまとめて買い取ることを発表。すぐさま新しいマネージメント体制に移行され、クリスチャン・ホーナーがスポーティング・ディレクターに就任。かつてジャガーのチームスタッフだったギュンター・シュタイナーが、テクニカル・ディレクターを務めることになった。
2005年はベテランのデビッド・クルサードをエースドライバーに採用し、クリスチャン・クリエンとビタントニオ・リウッツィを“同等条件”という契約のもとでダブル起用。チームの判断によって、レースごとにどちらか一人が出場することになった。新車のRB1シャシーはジャガーの2004年型を改良した進化型で、テクニカルチームにマーク・スミスが加わるなど、レッドブルはこの一年、さまざまな面でF1パドックをにぎわせたと言えるだろう。
クルサードは開幕戦でいきなり4位に入り、シーズン前半だけでも6戦でポイントを獲得。最終的には24ポイントを稼いで、レッドブルをザウバーやジョーダン、ミナルディといったライバルたちより上位でフィニッシュさせている。一方、F1で2年目のシーズンを過ごしたクリエンは、リウッツィがシートに座った4戦以外に出場し、合計9ポイントを獲得する手堅い働きぶり。対するリウッツィは1ポイントに終わっている。
コース外では、サン-マリノGPで2006年はフェラーリV8エンジンを搭載すること、さらにシーズン末にはマクラーレンからエイドリアン・ニューイが加入することを発表。シュタイナーがF1を去り、アメリカでレッドブルの新たなNASCARプログラムに参加することになった。クルサードとクリエンが2006年もレースドライバーを務め、ロバート・ドーンボスをテストドライバーに起用し、見通しは明るいかに見えた。
しかし、レッドブル・フェラーリにとって2006年は大きく後退した1年となる。エンジンはいいものの、RB2シャシーがチームの期待とは裏腹な出来だったのだ。シーズンが進むにつれ、チームはRB2シャシーの開発中止し、ニューイが手がける2007年型マシンRB3の開発に焦点を当てることを決断。
コース上での結果は散々だった。モナコGPではクルサードが素晴らしい走りで3位に入り、チーム初の表彰台と6ポイントをもたらしたが、残りのシーズンは苦戦を強いられている。
2ポイントを獲得したクリエンだったが、2007年はチャンプカーに転向するようレッドブルからの要請を断り、チームを離脱。ラスト3戦はドーンボスがクリエンの後任を務めたが、チームの後退は止まらず、ドーンボスの最高位は12位となっている。
全18戦で16ポイントを獲得したレッドブルは、チャンピオンシップを7位で終えた。これまでの18カ月で多くの才能豊かなエンジニアリングスタッフを雇い入れたレッドブルが、2007年、正しい方向性を見いだせないことは想像できない。
チームはクルサードのパートナーとして新たにマーク・ウェバーと契約を交わし、エンジンサプライヤーはルノーを獲得している。